| 開催日  平成30年5月12日(土) | 開場  17:30 | 
| 会場  千駄ヶ谷区民会館 | 開会  18:00終了予定20:45 | 
※ 夜時間の開催です。連休を避けて第二土曜日としていますのでお間違えの無いよう、ご注意ください。 [note color=”ffdead”]短歌番号746 「うす雲のいつ湧きにけん見あぐればただすばるのみほのびかりして」からです。担当は山崎さんです。 [/note]
 「うす雲のいつ湧きにけん見あぐればただすばるのみほのびかりして」からです。担当は山崎さんです。 [/note]
| 開催日  平成30年4月7日(土) | 開場  17:30 | 
| 会場  渋谷区氷川区民会館 | 開会  18:00 終了予定21:00 | 
| 会場整理費  500円 | 
※ 夜時間の開催です。
 [box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) ベルチャ・アドリアン(Adrian Bercea)氏
  ベルチャ・アドリアン(Adrian Bercea)氏
 宮沢賢治とシャーマニズム―研究の問題性と可能性
 シャーマニズムは、宮沢賢治の作品への理解において、非常に重要な構成要素だと言われる。同時にこの要素は直接に目に見えるものではなく、著作の深層に隠れて存在しているものだとも指摘されてきた。これは、もとより宮沢賢治とシャーマニズムというテーマを取り扱う際の、研究者にとって方法論的に難解な問題であった。この問題に加え、先行研究における著者の人格をシャーマニズムと関連させて論じる傾向と、オカルトなものとしてのシャーマニズムへの偏見とが合わさって、この研究が停滞するという現状に至った。
 これらの問題を乗り越えるために、シャーマニズムの理論により厳密なアプローチを試みる。本発表では以上の問題を整理したうえ、この新たなアプローチについて説明する。最後に、集大成とされた「銀河鉄道の夜」を中心に、賢治作品にあるシャーマニズムの要素を掘り出し、それらの重要性を指摘して、この研究の可能性を示す。
(会員、関西大学大学院博士課程後期課程、ルーマニア出身)
(後半) 浜垣 誠司(はまがきせいじ)氏
  浜垣 誠司(はまがきせいじ)氏
 宮沢賢治の他界観 ―その非仏教的側面と現代的意義―
 宮沢賢治は一貫して敬虔な仏教徒であり、その世界観は基本的に仏教の教理に則っていた。「死者の行方」という問題に関しても、母親を亡くした保阪嘉内に送った手紙では、日蓮の教えに従い母の後生のために如来寿量品を書くよう強く勧めており、そこには何の迷いも見えない。
 妹トシの死去に際しても、当初「永訣の朝」や「風林」には、彼女が天界に生まれるよう願う信仰と祈りが記されていたが、しかしその後の作品群は、次第にこのような仏教的輪廻転生観には収まらなくなっていく。「白い鳥」に引用されているヤマトタケル伝説をはじめ、日本固有の他界観に根ざしたイメージが、次々と展開されていくのである。
 こういった賢治の他界観の「非仏教的」側面は、これまであまり注目されてこなかったが、当日は特にそのような面に光を当てつつ、トシ追悼過程における彼の他界観の動揺・変遷を、作品に沿って辿ってみたい。
 ある意味では、ここで賢治が仏教のみに徹することができなかったからこそ、苦悩とともに彼は無意識の底から豊穣なイメージを紡ぎ出し、これが図らずも現代に生きる我々の深い共感を呼び、示唆を与えてくれているとも言える。
(会員、精神科医)
| 開催日  平成30年2月3日(土) | 開場  13:00 | 
| 会場  氷川区民会館 | 開会  13:30 終了予定16:30 | 
| 会場整理費  500円 | 
※ 午後時間の開催です。前回例会と同じ会場です。お間違いの無い様にご注意下さい。
※ 氷川区民会館は、JR渋谷駅と恵比寿駅の中間にあります。両方の駅から歩けない距離ではありませんが、主に渋谷駅からのバスをご利用されるとよろしいでしょう。バス乗り場は案内図をご参照ください。
 [box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 黄 毓倫(こういくりん)氏
  黄 毓倫(こういくりん)氏
 宮沢賢治と浅草オペラ(続) ―詩「函館港春夜光景」を例に―
 昨年(2017)9月に花巻で行われた宮沢賢治研究発表会での報告と同じテーマとなっていますが、その時は時間の関係で、函館の色町として歴史、そして浅草オペラの歌手(役者)や演目内容の紹介などに留まっていました。今回は改めて、それらの部分についてもう少し詳しくお話しすることができればと思います。そして浅草オペラの、特に「エロス的要素」に注目して調べてきたことが、賢治の心境とどのように結び付けられるのかという点についても、少しばかりの考察を加えてみたいと思います。詩「函館港春夜光景」にある浅草オペラ関連の言葉(「喜歌劇オルフィウス」「田谷力三」「セビラの床屋」「高田正夫」)を通して、詩中に見られる性的なイメージの意味を考え、大正時代の大衆演芸・浅草オペラの側面から賢治テクストを探ってみるのが今回発表の目的です。
 (会員、お茶の水女子大学大学院博士後期課程)
(後半) 宮川 健郎(みやかわたけお)氏
  宮川 健郎(みやかわたけお)氏
 賢治童話の「絵本化」は可能か
 賢治童話を「絵本」にすることに否定的です。最初の「絵本化」は、ソフトカバーの月刊絵本『こどものとも』2号(福音館書店、1956年5月)の『セロひきのゴーシュ』(茂田井武・画)です。見開きの絵が語り(ことばは手助け)、ページをめくることによって展開する「絵本」にするために、賢治のテクストを佐藤義美が再話しています。再話されたテクストは、残念ながら力のないものでした。10年後、これが単行本になったときは、賢治のテクストにもどっていますが、これは、「絵本」ではなく、挿絵のある「絵童話」になってしまいました。「セロ弾きのゴーシュ」の「絵本化」は「絵童話」へと押しもどされたわけですが、「絵本化」をはばんだのは、賢治のテクストそのものではないでしょうか。
 このことは、絵本学会刊行の『絵本BOOK END  2013』(特集 没後八〇年宮沢賢治 絵本と童話の世界)の巻頭にも書きましたが、その後も、「絵本化」は盛んに行われています。中川素子・大島丈志編『絵本で読みとく宮沢賢治』(水声社、2013年)という研究書も刊行されました。賢治童話の「絵本化」へと駆り立てる欲望とはいったい何か、テクストの視覚的、聴覚的要素をにらみながら、あらためて考えてみたいと思います。
 (武蔵野大学文学部教授、大阪国際児童文学振興財団理事長)[/box]